ホウガホリック連載「俺達の世代」松江哲明(映画監督)#5入江悠

『SR サイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム』をドイツで観た。
ド根性の映画だな、と思った。ラストの意地としか表現しようのないラップバトルに感動した。「もういいじゃん、よく頑張ってるよ」と僕が胸をプルプル震わ せながらスクリーンに向かってメッセージを送っても、彼女らは声を張る。叫びが止まらないから。大人たちの冷たい視線にも、隣県サイタマからやってきたデ ブラッパーの挑発にも、 群馬の女子ラッパーたちは折れなかった。
僕はこの戦いっぷりを見、今のインディペンデント映画のあり方を思った。映画に集中しなきゃ、と思いつつ、それでもそんなことを意識してしまったのは、本 作の在り方自体が映画で描かれる状況とあまりにシンクロしているから。
自主映画は基本的に誰からも望まれていない。制作費は言い出しっぺである監督、もしくはプロデューサーが負担。スタッフキャストに満足なギャラが支払われ る訳でもない。つまり監督だけの「作りたい」という思い入れだけが作品の原動力になる。僕は自主映画のほとんどが、そう作られていると思っている。
入江監督が最期でもいい、と覚悟して作ったという『SR サイタマノラッパー』は伝説になることを拒否し、何度もリバイバルを繰り返し、観客に届け、育てて来た。そして早くも続編まで作ってしまった。スタート時 は誰にも望まれていなかったのに。
今の日本映画のほとんどは、誰かの為に作られている。ヒットを望むプロデューサーの為に、テレビでの放送を待つ視聴者の為に、原作といかに似てるかを確認 するオリジナルのファンの為に。
その結果、かつての映画とは全く違う、衝撃も驚きもない、ただのヌルい映像ばかりになってしまったのは周知の通り。僕自身、そんな状況の中でインディペン デントにこだわり、作り、上映し、届けてきたが、勝てたという実感はない。敵わないモノはあった、と今は戦い方を軌道修正しなければ、と思っている。
しかし、『SR』シリーズと入江監督が実行しつつあり、きっと目指しているであろう位置は誰もなし得ていない制作であり、興行なんだと思う。日本映画のあ り方も変える為に、今行動し、踏ん張らないといけない。でないとこの国から「映画」がなくなってしまう。
『SR サイタマノラッパー2』には、そんな覚悟が映っていた。デジタルビデオで撮られたほんの小さな映画は、多くのファンを巻き込み、「待たれる」シリーズにな りつつある。これは本当に凄いことだと思うし、多くの映画人は刺激を受けるべき事件だと思う。

http://www.holic-mag.com/hogaholic/sedai/sedai05.html

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